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スレ主
初めて西洋と戦った丙寅の役のとき、フランスに屈して門戸を開放して交流した方が良かったと思います。文物もすぐに受け入れて...

しかし日本を防ぐにはまだ力不足だったような...

最初はフランスの宣教師を通じてフランスと交流しようとしたが、どうしてできなかったのか知っている方はいますか?


丙寅(ヘイイン)の役 - 1866年にフランスと戦った

画像は朴殷植(パク・ウンシク 1859-1925)朝鮮の歴史家、作家、民族主義運動家、政治家。大韓民国臨時政府の第2代大統領(1925年3月 - 7月)を務めた。






韓国人の反応


1
両班が「私たちが最高!私たちが一番!」と言っていたからです。


2
閔妃というクソ女がどうしようもなかった。ドキュメンタリーを見ると、日本併合当時イギリス製の最新兵器で武装された5000人の兵隊がいた。その軍隊を上手く活用できれば良かったんでしょうね。


3
丙寅の役のドラマも作らなければならないようだ。


4
そのときフランス人が盗掘して争いになったのではないか?
韓国の情緒上、先祖の土地を盗掘するのは想像もできないほどとんでもないことだから...


5
>>4
盗掘をしたのはドイツ人ですよ。


6
>>4
オッペルト盗掘事件は、ドイツ人+フランス人の嫁+アメリカの資本!


7
フランスは朝鮮を侵略したかったが一度に大軍を送ることはできないし、韓国もそれなりに強かったので、次第にお互い交流して発展していったのではないでしょうか?ところがそうするうちに日本に国を売ってしまいましたね。


8
丙寅の役の時点でゲームはすでに終わっていました。
そこから反撃をするのは、ファンタジー小説を除いて難しいと思います。


9
日本は産業化している時期であり相手にならなかった。


10
西洋の帝国主義勢力は中国という巨大な餌に気をとられ、朝鮮にはあまり魅力を感じていなかった。朝鮮は事実上日本さえ食い止めていたら独立を守ることができたんです。日本も一度戦争に敗れれば立ち上がるのに数十年が必要なほど国力が貧弱な状態で、朝鮮は王室の財産を上手く活用して陸軍に適切な訓練をさせておけば良かったのです。しかし開港以来、少なくとも半世紀を王権と親権争いし、大院君と外戚との喧嘩、高宗の王権強化策のために多くの人材を失い国力を浪費しました。李氏王家は私たちの歴史の永遠の逆賊です。


11
日本のようにはなれませんでした。
日本の改革はすごく早かったのです。
変わった意識構造で身分格差は消えて...


12
開放したら日本の植民地ではなく、他の西欧列強の植民地になっていました。日本が敗戦国になったので独立できたが、戦勝国の植民地だったらもっと長い期間植民地だった可能性が大きいです。


13
コンゴ、アルジェリア、チュニジア、これらの国のようになっていましたね。
それともベトナムのような運命を辿っていたかも...


14
いろいろな国が領土を貪っているとき、私たちは内部で争うことに忙しく、頭の良い人は必要のないことを言いながら糞のように座っていて、既得権勢力は変化することを嫌っていた。歴史の勉強をすればするほど悪口が出てきます。


15
事前にヨーロッパとアメリカの間に外交関係を持っていたら、日本の支配を簡単に容認しなかったでしょう。



翻訳元
http://www.ppomppu.co.kr/zboard/view.php?id=freeboard&no=4904253